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東京地方裁判所 昭和28年(ヨ)4012号 決定

申請人 榛沢末吉 外六名

被申請人 科研化学株式会社

主文

申請人らの申請を却下する。

申請費用は申請人らの負担とする。

理由

第一、申請の趣旨

被申請人が昭和二十七年十一月二十九日附で申請人らに対してなした解雇の意思表示の効力を停止する。

との裁判を求める。

第二、当裁判所の判断の要旨

一、申請人榛沢末吉が昭和二十六年九月臨時工として被申請人会社(以下単に会社と称する。)に雇われ、マイシン製造部工務課汽罐係を命ぜられ、同年十二月本社員に採用され引続き同係として勤務したが昭和二十七年九月一日休職となつたこと。申請人鈴木忠司が昭和二十四年十一月会社に雇われ、ペニシリン製造部工務課汽罐係を命ぜられ、次で昭和二十五年九月マイシン製造部工務課汽罐係となり勤務したが、昭和二十七年九月一日休職となつたこと。申請人渡辺和子が昭和二十五年五月見習社員として会社に雇われ、マイシン製造部培養課に勤務し、同年八月本社員となり同二十六年六月よりマイシン製造部付勤務を命ぜられ、同年十月より同課培養課に勤務していたこと。申請人網玲子は昭和二十三年四月会社に雇われ、ペニシリン製造部培養課勤務を命ぜられ、後マイシン製造部培養課に所属して勤務していたこと。申請人島津喜久代は昭和二十三年七月会社に雇われ以来ペニシリン製造部検定課に勤務していたこと、申請人伊藤寧子は昭和二十三年六月会社に雇われ業務部厚生課に所属し勤務していたこと。申請人荒井恒久は昭和二十四年十月会社に雇われペニシリン製造部事務課に属して勤務していたこと。会社は昭和二十七年十一月二十四日ペニシリン、ストレプトマイシン事業を綜合的に運営し経費の節約及び生産原価の引下を図る一方勤務体制の変更、人員の合理的配置等を実施して企業の再建するため人員整理の必要ありとの理由で、会社従業員に対し百四名を別紙整理基準に従つて整理する旨の発表をしたこと。会社にはストレプトマイシン製造部従業員をもつて組織する科研ストレプトマイシン従業員組合(以下単にマイシン従組と称する。)同ペニシリン製造部従業員をもつて組織する科研化学労働組合(もと科研ペニシリン従業員組合と称し昭和二十七年十月改称す。以下単にペニシリン従組と称する。)及びその他の従業員をもつて組織する科学研究所従業員組合(以下単に科研従組と称する。)の三労働組合があつたので、会社は右の人員整理に関し右三組合と数回団交を重ねたが妥結を見るに至らないうち同月二十二日申請人らを含む九十六名の従業員に対し退職を勧告し、同月二十九日までに退職を申出ないものは同日附で解雇すると通告したこと。申請人らは期日までに退職の申出をしなかつたので会社は申請人らに対し同月二十九日をもつて解雇の効力が発生したものとして取扱つていること。

以上の事実は当事者間に争いない。

二、申請人等は右の解雇は人員整理の必要は少しもなかつたに拘らず、人員整理を理由としてなしたもので解雇権の濫用であるから無効である。と主張する。そこでまず人員整理の必要の有無について検討する。

(一)  疏明によれば次の事実を認めることができる。

会社は昭和二十三年三月一日化学薬品の製造販売、科学の研究及び応用とその成果の製造等を目的とし、株式会社科学研究所(以下旧科研と称する。)という商号で設立されたのであるが、その前身は財団法人理化学研究所(以下単に理研と称する。)である。理研は物理化学の基礎から応用まで広汎な研究を行う綜合研究所として大正六年に創立されたのであるが、その研究成果を工業化するために六十余の生産会社を設立し(理研産業団と総称された。)理研はこれらに発明特許権やパイロツトプラントを投資し又は技術指導をなすとゝもに各社の株式を所有する方式をとり申請外理研工業と共に持株会社の観をも呈していた。理研工業は直接生産部門をもつと共に産業団各社に対する投資とその製品の受註販売をも行つており理研はこの会社の大株主としてこれを支配していた。かようにして理研は産業団及び理研工業への投資によつて収入を得、その収入は昭和十四年において理研の年間所要経費二百七十万円のうち八十パーセントに達していた。終戦後G・H・Qの指示により理研は生産会社と絶縁したが、理研工業もまた生産会社と絶縁したばかりでなく後には解散してしまつた。しかし理研は株式会社として存続することゝなり、昭和二十二年十一月法律第一三一号「財団法人理化学研究所に関する措置に関する法律」により理研の評価資産三千五百万円より債務三千万円を差引き残り五百万円を現物出資することによつて前記のとおり旧科研が設立され、旧科研は理研の資産債務の大部分を承継した。

しかして旧科研は理研のように他に収入源がないので、研究を維持していくためには、自ら生産を開始し新にプラントを造り収入を得なければならなかつた。そこで最初にとり上げたのはペニシリンで次いでパス・ストレプトマイシンの製造を進めたが、当初は資金がなかつたので政府及び金融機関の配慮を得借入金で賄つてきた。しかしこれらの製造事業は充分所期の目的を達成できなかつた。即ち(1)ペニシリン製造事業は昭和二十三年九月頃から本格的生産に入り月産四億単位に達し、昭和二十四年二月には六トンタンク三基を増設し全国生産量の約十パーセント以上になつたが、昭和二十五年に入つてペニシリンの生産は他社の急激な技術的進歩から大量生産され、その価格は急落するに至つたので業者は施設改善による生産価格の切下を図つたのであるが、旧科研はこれがために要する資金の獲得が不可能であつたので、生産の重点をマイシンに置くことゝし、他社とのペニシリンの比較生産量は減少した。ところで、昭和二十七年に入つてペニシリン市況の安定に伴い同年春より旧科研の生産成績は向上し収益率の好転を見たけれども、六トンタンクの三基の設備ではその能力に限度があつた。(2)パスは昭和二十五年四月より製造を開始し相当の収益を挙げ昭和二十六年春に設備の拡充を行つたが生産が緒についたばかりで、品質優れず返品多く、一方新薬テイビオンの出現により前途の不安から増産を抑え、技術の改良に努力したが、同年十二月頃から業界は過剰生産の傾向となり市価が下落し量産によるコストの引下が困難となつた、(3)ストレプトマイシンは昭和二十四年八月より月産一キロを目標として生産に入り、見返資金六千万円の融資により昭和二十六年十月には六十トンタンク三基の設備を完成し量産を図つたが、当初こそ昭和二十四年九月閣議決定による国家買上がなされ価格が維持されていたけれども、昭和二十七年二月より自由販売となり、一方結核新薬出現が喧伝されて価格が急落し、旁々同年四月から五月にかけて突然前年輸入実績の十一カ月分に相当する大量の輸入がなされ悪化していた市場を更に混乱させた。

そこで滞貨減少をまつため六十トンタンクによる生産を各社との生産制限協定により一時停止のやむなきに至つた。

右の次第で会社は創業初期には損失金を出したけれども、その後はペニシリン販売当初の市況の良好が幸して昭和二十六年三月末までは辛うじて膨大な研究費の負担にも拘らず会社経営の採算点を維持していたのであるが、同年九月末には買掛金未払金の合計額は一挙に一億八千万円と前期末(同年三月末)の六千二百万円の約二倍に増加し、昭和二十七年に至つては愈々資金操作困難となつたそうしてその間資本金を二回倍額増資したが維持は困難であつた。しかしながら綜合民間研究所の維持を図らなければならないという政府財界の要望により検討の結果旧科研の研究部門は独立して全産業界の綜合研究所として経営し、生産部門は生産のみに専念すべきであるという結論を得て日本興業銀行その他の銀行、生命保険会社産業会社等五十八社の出資により資本金五百四十万円をもつて昭和二十七年八月一日株式会社科学研究所(以下単に新科研と称する。)が創設され、これよりさき旧科研は同年七月三十一日その名称を現在の如く改め生産部門のみに専念することゝなつた。このように新科研は被申請人会社とその目的においても資本構成においても別個の法人として出発し、したがつて、旧科研の借入金等はすべて会社の債務として残されたのである。しかしながら旧科研における研究所の実体は以上の経緯からみられるとおり当然維持しなければならなかつたので、新科研は設立とゝもに同月十三日旧科研当時の主任研究員二十名を採用し、その推薦その他の資料にもとずきその他の従業員を同年九月三日三百四十七名、同月四日六十四名を詮衡採用し、その選に洩れた二十七名は会社を退職し、こゝに会社の従前の研究部門は消滅した。

会社は右のように旧科研時代の債務をそのまゝ負担し、生産部門一般管理部門をもつて再発足し、ペニシリン、マイシン、パスの生産に当つたのであるが、その生産並に市況は不振であつた。即ち、(1)ペニシリンは昭和二十七年春頃より収益率は好転していたのであるが、同年八月一日国民健康保険法による点数が半減され、一方国際価格も漸次下落して同年十一月当時市況は悪化し十万単位当りの価格は約三分の二に下落した。(2)パスもまたその市価は低落を続け、昭和二十七年末結核新薬の出現により一時全く圧倒され、有力メーカーのストツク投売りもありさらに市価低落を来しパスの生産に企業の将来をつなぐことは不可能と考えられるに至つた。(3)ストレプトマイシンも前記のとおり六十トンタンクの運転を停止している状況で、その間は専ら技術の改良に努力を重ねていた。かようなわけで会社は研究部門の廃止により年額約八百万円の経費を節減したけれども経理状況は依然として改善されず昭和二十七年三月(第九期)末には前期に引き続き九百六十余万円の損失金を生じ借入金一切の返済を停止したばかりでなく同年二月以降は長期借入金の利息をも支払中止のやむなきに至り更に同年四月から同年九月末まで(第十期)前記の通りの生産中止の状態によつて被つた損害は甚大で第十期の損失金は六千八百余万円という曽つて例を見ないような巨額に達し繰越損失金との合計は一億一千七百余万円となり一方未払金も累増していて前記の通り買掛金未払金合計一億八千万円に達し、会社の存立を危殆ならしめる事態を招来し、主要生産資材すらその日その日の手当を講ずるのほかない有様であつた。したがつて給料も四月以来遅配を重ね、税務署も売掛金の一部及び電話加入権全部に対し差押えを断行するに至つた。

会社はかような事態に対処し企業の再建を図るこゝとし検討の結果(1)ペニシリンマイシンの生産については早くから綜合運営について検討されてきたのであるが、この両者はいずれも抗菌性物質製造工業に属し製造工程は酷似しているにも拘らず、従来は別個の工場において生産を行つていたので生産コストが高く、市場の変化に即応し合理化生産をすることができず、したがつて既に優秀な外国技術の上に立ち同一施設で生産している同業他社に到底太刀打できないという観点から当時施設規模狭少でそれ以上合理化の余地のないと考えられたペニシリン生産施設をマイシンの十条工場に移転し綜合運営を行うことゝし、(2)また勤務体制は昭和二十六年春来日勤(九時――十七時)と日勤及び夜勤(十六時三十分――九時三十分)の循環交代勤務制をとつていたが、その後技術の進歩に伴い作業工程上夜勤を必要としない個所が漸次生じてきたので、かゝる個所の夜勤を廃止し勤務体制を変更する必要ありと考えるに至つた。そこで以上の綜合運営と勤務体制の変更を実施することゝなつた。

ところで綜合運営により一つの工場で生産が行われるため冗員が生じ、また夜勤を一部廃止することにより夜勤日の前後の日勤に充当せられていた人員に当然冗員が生じてくることになつた。しかして会社にパスマイシンペニシリンの各製品別に製品販売能力、使用タンクの仕込回数、培養単位の収率を考慮し、生産目標を決定し、ペニシリンマイシンについては併せて綜合運営の機構を確立し、それぞれについて作業工程計画を決定しこれが所要人員を算定し、その他の部門については研究部の廃止に伴いこれが建物を新科研に賃貸したことから生ずる守衞雇傭員の一部減、又冗員整理に伴う事務量の減少予想、包装要員の必要数とを考慮し所要人員を概定し、さらに新規事業として計画された水虫薬ビタスヒドラジツドの研究竝びに生産の所要人員を考慮すると昭和二十八年十一月一日現在六百六十二名中百四名は冗員となつたが更に検討の結果結局九十六名の余剰人員については前述の経理状況からしてこれを抱えておくことは到底許されないと考え人員整理を行つた。

そこで企業の効率的運営を図るという見地から希望退職者を募るという方法をとらず経営効率に寄与する程度の低いものを解雇することゝし別紙記載のとおり整理基準を定め昭和二十七年十一月四日会社と三組合との団交の席上右の整理基準を発表し十一月二十二日前記のとおり解雇の通告をなした。

以上の事実が認定できるのであつて、右の事実によれば会社が以上のような企業の将来に対する見通し竝びに経理状況、企業の運営、状況から考察した結果企業再建のためには人員の整理を必要とするとの結論に達したことは首肯するに難くない。

(二)  申請人らは人員整理で節減できる人件費等は技術の改良資材の節約により賄えるのであるから、人員整理の必要はなかつたと主張するのであるが、右に認定した会社の経営困難が技術の改良資材の節約によつてのみ切り抜け得るとの疏明はなく却つてさきに認定したように会社は技術の改良に不断の努力をなし、資材もその日その日の手当を講ずる等の処置をとつていたにも拘らず右のような経営困難となつたのであり、のみならず本件人員整理は人件費節減のみが目的なのではなく崩壊に瀕した企業を合理的に効率化し再建するための措置としてとられその結果当然生ずると予想される余剰人員を、企業の生産状況経理状態からみて抱えておくことが許されないという観点からなされたものであるから、申請人らの主張は理由がない。

この点に関し申請人荒井は昭和二十八年三月には一挙に売上が増大して当月だけでも一億円に達しているのであつてこれは技術改良の結果にほかならないから人員整理の必要はなかつたと主張するけれども、これを措信するに足る資料はない。

(三)  申請人らは人員整理による解雇通告をなした当時、作業工程計画すらできなかつたのであるから人員整理をする必要はなかつたのであると主張する。しかして疏明によると会社は新定員によつて直ちに運営が円滑にいくものと考えていたわけではなく、例えばプラントの改良等によつて新定員による運営が無理のないようにできるという見通しのもとに行つたのであつて、その後の対策によつてはさらに動員することも考えていたことが認められるのであるが、また疏明によれば、旧科研時代から駒込工場にあつたペニシリン製造施設を十条工場に移転することを考え、昭和二十七年五月三十一日頃ペニシリン組合にその計画を発表し、同年七月より十月頃に亘つてこれに伴う機構人事、その他移転に関する事項等についてペニシリン組合と団体交渉を行い、その席上人員整理を行う意図あることを表明し、また同年八月一日来三組合との間に新科研成立に伴い退職金規定制定について団交を重ねた際にも会社は人員整理を眼前にひかえている旨を明らかにし、十一月四日団交の席上において社長が職場毎の詳細な定員数冗員数新勤務体制案を発表した際これに関連して作業工程計画をも発表したことを認めることができるのであつて、右の作業工程計画が今後の見通しをもとにしてなされたものであるにしても一応樹てられるものと言うことができるので会社が無計画に単なる整理のための整理をしたものというわけにはいかないので申請人らの右の主張は採用しがたい。

(四)  申請人らは、本件整理当時職場によつては人員が不足し極度の労働強化によつてようやく仕事をする有様であつたから人員を整理する必要はなかつたのであつて整理の結果はさらに労働の強化となつているのであると主張する。しかして疏明によれば例えばマイシンの工務課においては本件整理当時汽罐係は十三名であつたが、変則二交代の勤務制をとつておつて人員が不足し整図係工作係等から援助を受け多いときに援助人員約二十名に上つていたところ、新定員によればペニシリン関係より加わつたものと含め十九名とされたこと。マイシン精製課抽出係においては係長以下二十名で変則二交代制をとつていたが本件整理とともに時差勤務制を採用し人員も十六名となつたところ、間もなく時差勤務制を廃して夜勤が復活されたこと。同じく精製課精製係においては係長以下二十四名であつたがP・C・P薬害により長期欠勤者が出て応援のアルバイト学生を雇い入れたりしていたこと。また新定員による人員配置について当時会社がこれは基幹人員であつて不足の職場は臨時傭員で補うと言明しその後も多数の臨時傭員を雇い入れ本件整理の対象となつたものゝ一部すらこれに当てゝいることが認められるのであるが、また疏明によれば、会社十条工場工務汽罐係はもと十三名であり本件整理の結果ペニシリン工場所属の十二名とマイシン工場所属十三名のうち残留者七名計十九名(うち二名は駒込工場において昼間のみ勤務)となり、一方マイシンのみを製造している場合に比し綜合運営により蒸気使用量が格別増大するわけではないことが認められるので、整理によつて従業員の労働強化を来したものとも言えない。のみならず手取保証等の関係から工作係から月七名が平均一回ないし二回夜勤を応援していることが疏明によつて認められるのである。次に精製課において夜勤を復活したのは疏明によれば作業工程改善の結果作業が夜遅くなるようになつたゝめで、また復活された夜勤も従前の毎日三名ないし四名で作業したのとは異り毎日一名づゝ居残つて製造装置を監視するものであり従業員から反対された事実なく、その後設備等の改善によりこの夜勤も廃止されていることが認められ、また疏明によると、精製課精製係においてN・K・Y法を用い七名のものがP・C・Pの薬害を蒙つたけれども整理当時には一名を除いて恢復しており、しかも十二月にはP・S法に切換え翌年三月には早くから研究していた新プラントを完成し、P・C・Pの粉末飛散を防止する措置を講じ、一方換気装置をする等の方法による薬害を防ぎ得ることが認められるので、人員整理が労働強化を来すものと言えない。更に会社が臨時工を傭い入れている事情は疏明によれば業務内容によつては時期的に繁簡の差の甚しいものもあり、職場で臨時工をもつて事足りる場合或いは一時的欠員を当てる場合に限つて採用しており、整理対象者若干名使用しているのは本人の家庭の事情等を考慮し他の臨時工をもつても充分役立ち得るのであるけれども特に使用していることが認められるのであり、又従業員の配置にあたつて基幹人員を決定し他は臨時傭員をもつて補うという経営方針はそれが唯一無二の最善の経営方針ではないにしても企業の合理化という方策より考えて充分首肯しうるところであるから人員整理の必要はなかつたということはできない。また残業についても当時現場男子の残業手当が基本月収を上廻るという状態ではあつたけれども、それは勤務体制の結果でこれらのことは勤務体制の改善を図れば容易に避けられたのであるが従業員の手取保証ということで改善しないでいたことが認められるのでこのことは労働人員が不足しているということを疏明する資料とはならない。しかしてこの点に関して申請人らは整理後女子の有給生理休暇をとり上げたというけれどもこれを認め得る疏明はない。

よつて申請人らの主張は採用できない。

三、申請人らは、本件整理当時幾何の人員を整理する必要があつたか決定できなかつたから人員整理は権利の濫用であると主張する。しかしながらすでに述べたとおり各部門別に所要人員を画定していたのであるから整理する人員の数が決つていなかつたとはいえない。尤も前記の事実からすればその画定した人員は目標とした生産に必要な人員を見通しによつて決定したものであることが窺われるから、冗員数が明白でなかつたと言えるかも知れないが疏明によれば抗生物質工業は今次戦争後急速度に発達したもので技術的にも日進月歩の状態にあつたことが認められるから他の理由による企業合理化の際にこれらの面において将来改良されるべき見通しのもとにこのことをも考慮に入れて企業合理化を図ることは経営者の措置として一応肯定せざるを得ないのであつて整理の後に多少計画の変動あることは当然予想しなければならないところで、このことの故に人員整理が必要なきに拘らずなされたもので不当のものであるとは言えない。この点の申請人らの主張も採用できない。

四、申請人らは会社が経営困難になつたのは従業員の責任ではなく、会社経営方針の誤り、或いは経営努力の欠如、ないしは政府の政策の謬りによるものであつて、このように従業員の責に帰すべからざる事由に基き人員整理を実施するのは従業員にその責任を転換するものであつて甚しく不当であり、かつ人員整理の必要ないのに拘らずこれを敢てしたのは解雇権の濫用であると主張し、これをストレプトマイシン部門について言えばその不振の原因である技術の拙劣は全く会社側の怠慢によるもので以前から従業員の申入れを無視し改良をしないで漸く人員整理の直前からこれに着手したのであるがその結果は昭和二十八年一月以来好成績を挙げることができたのであつて従つて会社側が怠慢でさえなければ技術拙劣による経営不振は容易に打開し得た筈であり、次にパス部門についても早くから従業員より量産を会社側に警告していたのに拘らずその時期を逸したからにほかならず、その責任は会社にあり、なお外国品の輸入による経営不振も専ら政府の責任であるという。

そして前記認定のとおり会社の企業が崩壊に瀕したのは従業員の責に帰せらるべきものでないことは容易に看取することができる。しかしながら従業員の責に帰すべからざる事由によつて会社が経営困難に陥つた場合には企業の整備計画に基いて余剰の従業員を解雇することが許されないとする法律上の根拠はなく、またその経営困難になつたことが申請人らの主張するような経営者の怠慢等その責に帰すべきものであつたとしても右の結論に変りはないといわなければならない。蓋し企業の整備計画は元来経営者の専行するところであつて、その計画樹立に至る動機原因の如何によつて左右されるものではないのであるが、その整備計画に基く人員整理即ち解雇が信義に反し又は解雇の濫用となる場合はその解雇は無効であること勿論である。しかして専ら従業員に損害を与える目的で人員整理に名を藉り解雇する場合とか整理以外の方法によつて経営困難を打開できる方策があつて人員整理の必要が存在しないのに拘らず、これがあると称してなす解雇は一般に解雇権の濫用に該当するものとしてその解雇は無効であるということができよう。しかしながら本件の解雇が右のような事情によつてなされたものと認むべき疏明はなく、寧ろ前段に説示した事実によればこのような濫用に当らないものというほかはない。したがつて人員整理を余儀なからしめた原因である経営困難が経営者の経営方針の誤謬又は経営能力或は経営努力の不充分によつて招来されたとしてもその一事によつてその整理に基く解雇が直ちに解雇権の濫用として無効ということはできない。

五、申請人らは右の整理基準のいずれにも該当しないに拘らず、これに該当するものとしてなした本件解雇の濫用であると主張する。

ところで使用者が人員整理にあたり協約により整理基準を決定した場合は勿論、従業員に対してその基準を定めて発表した場合には整理に基く解雇権をその基準該当者に限る旨限定したものでありまた右の整理基準はひとり使用者側の主観的解釈にのみ委ねらるべきものではなくて協約によつて定められた時は当事者の意思を探究して解釈されなければならないことは勿論であり、そうでなく一方的に基準の認定された場合でも基準の趣旨と基準に該当するかどうかは客観的合理的に解釈決定されなければならない。しかして本件において整理基準を見るに(1)(2)についてはこれに該当するか否かは事実の有無によつて客観的に容易に決定しうる事柄であるけれども(3)ないし(7)については従事員個人において右に該当するかどうかについてさらに合理的な価値判断を要する。ところでこのように価値判断をする場合でも使用者の恣意的主観的判断によるべきものでないことは前記のとおりであつてその合理的根拠ある場合にはじめて右の基準に該当するものということができるのであり、これに該当しない場合には解雇権の制限に違反しその解雇は無効というべきである。

よつて次に申請人らのそれぞれについて会社主張の整理基準に該当するものであるかどうかを以上の見地に基いて検討する。

(一)  申請人榛沢について

(イ) 申請人榛沢は前記のとおり昭和二十七年九月一日附で休職を命ぜられていたものであるから整理基準に該当する。

ところが申請人榛沢はこの点に関して申請人榛沢の受けた、右休職処分は取消さるべきことが至当なものであるに拘らず人員の合理的配置という理由による整理において右の休職を整理基準に該当するものとすることは正当ではないと主張する。しかしながら疏明によると被申請人会社就業規則第四十八条に規定するとおり業務外傷病、個人的事情による継続的欠勤、刑事事件により起訴された場合に休職とすることがあるとされていることが認めれ、これらはいずれも会社の責に帰することができない事由で従業員から労働力の提供を受けることが期待できなくなつた場合休職とする趣旨と解せられるのであるから、人員整理にあたつてこれに該当するものと該当しないものとを区別して取扱うことはもとより当然であつて、しかも就業規則第四十九条によれば休職期間三ケ月を超えるものは解職することができるとされているのであるから尚更である。もつとも疏明によれば本件休職の原因となつた起訴は昭和二十七年五月一日の所謂メーデー事件に関連してなされたものであることが認められ右の事件は破廉恥罪ではないけれども会社の責に帰すべきものとも言えないので休職を命じたことは何ら不当ではない。またその後保釈となり就業可能の状態になつたからといつて取消さなければならない筋合のものでもない。したがつて右の事件により起訴せられ休職中のものである以上たとい起訴が不当でありまた保釈となつているからといつて申請人榛沢が整理基準(2)に該当しないものとすることはできない。

(ロ) 疏明によれば申請人榛沢は昭和二十六年十一月二十八日入社後翌二十七年九月までの間に欠勤百十五日に及んでいることが認められるから、申請人榛沢は整理基準(3)に該当する。

尤も疏明によると、申請人榛沢の右欠勤はいずれも右メーデー事件によつて逮捕勾留された期間中だけでその他に欠勤がなかつたことが認められるのであるが、しかしながら企業の効率的運営に寄与しないという意味で経営の蒙る損失を避けるという見地からする企業整備にあつては欠勤の理由についてその取扱を異にしないことは寧ろ合理的であり、公平であると言わねばならないので申請人榛沢が右の整理基準(3)に該当するものとすることは不当ではない。

(ハ) 疏明によると会社は整理基準(5)の適用につき次のような基準に基いて判定していることが認められる。即ち会社は毎年四月及び十月に行われる特別の昇給昇格に関してその基準として勤務成績を評定しており、この評定は職階によつて観察点を区別し職階を技術員、技手補、副主事等に分け技術員については信頼度、勤勉、作業能率、習熟度によつて課単位で序列をつけ技手補はさらにこれに職務知識を加え部単位で序列をつけ、副主事は応用力、信頼度、勤勉、仕事の成果、職務知識で部単位をもつて序列をつけ、これらはあらかじめ各担当課長に所属員を評定させ部長が補正して決定していたが本件整理においては昭和二十七年四月期における右の勤務成績評定に基きその業務成績の良否を判定し右の期間に在籍しなかつたものについてはこれに準じて判定したものであることが認められるのである。しかして整理基準(5)に該当するか否かについて右のような判定方法をとることは一応合理的なものであると考えられる。しかしながら右のように判定したからといつて直ちにその判定に拘束されるべきものでなく右の判定の根拠について合理的に納得できるところのものがなければならないところ、被申請人は申請人榛沢が右の判定の結果その所属するペニシリン製造部工務課汽罐係に属し所属課員中最劣等に属するというけれどもこのことを疏明するに足る充分な資料はない。なるほど申請人の所属する汽罐係は三名ないし四名が一組となつて作業しその中の一名が主任格となつて作業し投炭給水運転等をなすものであるが、申請人榛沢は主任者となつたことなく、また申請人榛沢は入社後日が浅く化学工業の汽罐操作に従事していないことが疏明によつて認められるので、申請人榛沢がその上司である汽罐係長(工務課長山口耕四郎兼務)より信頼せられている度合いも薄くその習熟度も低いと言われてもやむを得ないかも知れないがこれが他の汽罐係員に比し著しく低いことの疏明はなくまた作業能率勤勉の点でも他の従業員より低いことを疏明できる資料はない(前記の欠勤は申請人榛沢の前記メーデー事件により逮捕勾留されたことによるものである。)これらを綜合してみて他より低位にあることの疏明はない。してみれば申請人榛沢が整理基準(5)に該当するものとは言えない。

(ニ) 被申請人は整理基準(6)につき会社業務運営につき非協力とは企業にとつて有害であつたり或は協力的意欲の認められないものを指すと同時に会社の信用名誉を毀損するものをも包含する趣旨で、職場の秩序を乱す者とは直接職場の秩序を紊すものはもとより間接的に職場員に不安と動揺を与える一切の場合を含む趣旨であるというけれども、会社の業務運営に非協力とは会社の経営方針に反対しその業務運営を阻害することを言い、職場の秩序を紊すとは会社或いは職制上の上司の指揮命令に服従せず会社の定めた職場規律等を遵守しないものを指すものと解するのが相当であつて、これに反して被申請人の主張するように広く解釈しなければならないことについての疏明はない。よつてこの見地から申請人榛沢に関し整理基準(6)該当の有無につき判断するに、疏明によれば申請人榛沢が昭和二十七年五月十三日メーデー事件により逮捕勾留され同月二十四日発行の各紙夕刊に会社名が記載されて掲載せられ、さらに同年六月四日起訴されたことが認められるけれども、右の申請人榛沢の行為が会社の信用名誉を毀損する結果を招いたかどうかはともかく右の整理基準に該当するものとは言えない。被申請人は申請人らが逮捕勾留されて従業員に深刻な不安と動揺を来し、職場従業員が差入れ、面会或いは引取りのため勤務時間中離席し職場の作業能率が低下したというけれども、職場のものが逮捕勾留されるという事態が起ればそれが職場内の話題となつて一時関心がその問題に集中するということは容易に想像されるけれどもそのことが職場の秩序を紊するものではないことは明白でありまた勤務中の離席は申請人榛沢の指示又は共謀によらない限り離席者自身の責任の問題であつて、申請人榛沢の関知するところでないことは言うまでもない。次に申請人榛沢は昭和二十七年四月頃来ストレプトマイシンの六十トンタンクの生産稼動を停止した際汽罐係の夜勤回数が減少したことに対する補償を勤労課長に個人的に要求したことが認められるので、このことにより多少同課長の勤務に阻害するところがあつたことが窺えるけれども同課長の平常の勤務が不能になる程度のものであつたことの疏明はなく、このことのために職場の秩序が紊れたということもできないし、また手当減少の補償を要求したかといつて会社業務の運営方針に反対したということにもならない。被申請人はさらに、申請人榛沢が昭和二十七年九月頃メーデー事件関係者に対する会社の措置を不当とする趣旨の文書を組合名義を詐つて作成しこれを社内に配布したから整理基準(6)に該当すると主張し、右の事実は疏明によつて窺うことができるのであるが、右の文書に記載した事実が不実であることの疏明は十分でなく、単に会社の措置を不当とすることだけで会社の業務運営を阻害するものとはいえないし、組合名義を詐つたからといつてそれは組合と申請人榛沢間の問題で会社の業務運営ないし秩序とは何ら関係のないことがらである。そして社内に文書を配布することが会社の規律に反するということの主張も疏明もない。よつてこの事実もまた整理基準(6)に該当するものではない。しかしながら申請人榛沢が休職中会社より復職命令のでるまで工場内への立入りを禁ぜられていたに拘らず連日のように会社側の制止を排して職場に立入り勤務時間中の同僚に対して話しかけ、或は上長に対し休職処分の取消しを要求していたことが疏明により認められ右の行動は正に職場の秩序を紊るものであるからこの点においては整理基準(6)に該当する。

(二)  申請人鈴木について、

(イ) 申請人鈴木は前記のとおり昭和二十七年九月一日附で休職を命ぜられ当時休職中であつたから整理基準(2)に該当する。

申請人鈴木も右は前記メーデー事件に関して起訴せられた結果による休職処分であるから該当しないと主張するが申請人榛沢に関して述べた前記理由と同一の理由で右の主張を採用しない。

(ロ) 申請人鈴木は昭和二十六年十月から昭和二十七年九月までの一年間に欠勤百七日に及んだことが疏明によつて認められるので右は整理基準(3)に該当する。しかして申請人鈴木の欠勤はすべて右メーデー事件により逮捕勾留せられた結果にほかならないことが疏明によつて認められるが、この点に関しては申請人榛沢について述べたと同一の理由により右整理基準(6)に該当するとする判断の妨げとはならない。

(ハ) 被申請人は申請人鈴木が技術員として前記勤務成績評定によると所属工務課員二十七名中二十三位であるというけれどもその根拠を明らかにする疏明は充分でないから申請人鈴木が整理基準(5)に該当するとの被申請人の主張は採用しない。

(ニ) 被申請人は申請人鈴木が申請人榛沢と同じくメーデー事件に関連して逮捕勾留起訴せられた事実が整理基準(6)に該当するというけれども申請人榛沢について述べたと同一の理由により右の主張は採用し難い。しかしながら申請人鈴木も昭和二十七年九月十五日保釈となつた後当時未だ休職中であつたに拘らず会社の命に反して職場に出入し申請人榛沢と同様現場の作業を妨害し又部課長の執務をも阻害したことが疏明せられ右の行動は正に整理基準(6)の会社の秩序を紊るものに該当する。

(三)  申請人渡辺について。

(イ) 申請人渡辺が昭和二十六年十月から昭和二十七年九月に亘る一年間に欠勤二十二日遅刻早退十七回に及んでいることが疏明によつて認められるから右は整理基準(3)に該当する。

申請人渡辺は右の欠勤遅刻早退は病欠又は不可抗力によつたものであるというけれども、会社の責に帰すべき事由でない以上その事由の如何によつて取扱を異にすべき理由はないから申請人の主張は理由がない。また申請人渡辺はそれらの欠勤早退遅刻等が会社所定の手続を履んでいたと主張するが手続を履践したかどうかによつて整理基準(3)の適用については取扱を異にすべき理由はなく、唯それらが無断でなされたものを整理の対象としないに拘らず申請人渡辺を解雇したというならばそれは客観的妥当性の問題が生ずるであろうが整理基準(3)の適用の問題ではない。

(ロ) 被申請人は、申請人渡辺がストレプトマイシン製造部培養課所属技術員として前記勤務成績評定によると最劣等であると主張する。

しかして疏明によれば前記出勤状態は所属係において係長以下九名中欠勤日数において最下位、遅刻早退も下位より五番目であることが認められるので勤勉度信頼度についてこれを低位のものと判断されることはやむを得ないものと言わねばならないから作業能率習熟度が低位であることを明らかにする疏明は充分でないけれども右の点において業務成績低位であるとの判断は必ずしも不当かつ不合理であるというわけにはいかない。よつて整理基準(5)に該当する。

申請人渡辺はこの点に関し同人はミユーテーシヨンの仕事に携わりこれは極めて重要な仕事で業務成績低位のものにまかせらるべき仕事ではないと主張する。しかしながら右の仕事が会社において信頼すべき従業員に対してのみ任せられている重要な仕事であることの充分な疏明はなく、却つて疏明によればこれは生産現場とは関連薄く研究部門においてなされるもののように本格的なものでないことが認められるので申請人渡辺の主張は理由がない。

(四)  申請人網について

(イ) 申請人網が昭和二十六年十月から昭和二十七年九月までの間に欠勤十六日遅刻早退七十三回に及んでいることが疏明によつて認められるから整理基準(3)に該当する。なお欠勤遅刻早退の事由や手続を履践したか否かが右整理基準と関係ないことは申請人渡辺について述べたとおりである。

(ロ) 被申請人は申請人網がストレプトマイシン製造部に所属する技手補で前記勤務成績評定によれば技手補四十九名中最劣等であると主張する。

しかして疏明によると申請人網は欠勤日数において申請人渡辺に次いで第二位であり、遅刻早退の回数は第一位であることが認められるから勤勉信頼度について低位のものと判断することはやむを得ないものと言わねばならないから作業能率習熟度についてはこれが低位であることを明らかにする資料はないけれども右の点において業務成績低位であるとの判断は不当かつ不合理であるとするわけにはいかない。申請人渡辺はこの点について遅刻等はごく少く数分間に過ぎないと主張するけれども疏明によつて会社は始業定刻経過後五分ないし十分は遅刻扱いにしてはいないことが認められるのであり、しかもその回数が前記のとおりであることを考え合わせると業務成績に関する前記の判断を左右することはできない。

よつて申請人網は整理基準(5)に該当する。

(五)  申請人島津について

(イ) 申請人島津が昭和二十六年十月から昭和二十七年九月までの間に欠勤四十四日遅刻早退回数四十五回に及んでいることが疏明によつて認められるので整理基準(3)に該当する。なおこれら欠勤遅刻早退がその事由によつて取扱いを異にすべきものでないことは既に述べたとおりである。

(ロ) 被申請人は申請人島津がペニシリン製造部検定課に所属する技術員中最劣等に属するから業務成績よくないものとし整理基準(5)に該当すると主張する。

しかして申請人島津の右勤務態度からみて信頼度勤勉度について低く評価されることはやむを得ないし、また疏明によると申請人島津は無菌テストの仕事に携わつておつたがそのテスト試料はいつも未処理ものが多く職場の上長はやむを得ず翌日代行者に命じて処理せしめることが屡々あつたことが認められるので信頼度勤勉度のみならず作業能率習熟度についても低く評価されてもやむを得ない。

申請人島津はこの点について無菌テストは自ら申出て任せられた仕事で三年間も継続して従事していたから業務成績は不良ではないというけれども、疏明によればこの仕事は操作極めて単純であるばかりでなくその係には係長のほかに代行者一名が配置せられ申請人島津一人が任せられていたわけでもないことが認められるのでこのことより申請人島津の業務成績がよくないという判断を左右できない。

よつて整理基準(5)に該当する。

(ハ) 被申請人は申請人島津が前記メーデー事件により逮捕勾留されたから会社内の不安動揺を生ぜしめ会社の名誉信用を傷つけたから整理基準(6)の会社の業務運営に非協力であるものに該当するというけれども、申請人榛沢に関して述べたと同一の理由により右の主張は採用できない。

次に被申請人は申請人島津が夜明け、あゆみ等日共科研細胞の機関紙その他日共東大細胞日共文京地区委員会作成のビラを会社内又は会社門前で配布するなど積極的に細胞活動を行い会社従業員の離間を策し会社の業務運営に重大な支障を来したものであるから整理基準(6)に該当すると主張する。

疏明によれば申請人島津は被申請人主張のとおりのビラを社内ないしは会社正門前で配布したこと、そして、そのビラには会社が戦争屋の手先になつて、国民を肉弾にするための研究所にしようとしているとか会社の幹部の不正義を許すならば科研は再び軍隊のおやとい研究所になり人斬り研究所となるとか、科研の研究室を軍事生産への附属研究機関としようとするものの支配に任せようとしているという趣旨のことが記載されているものがあることが認められこれらを総合して考えると、これらのビラは会社の施策を論難攻撃するにとどまるものではなく、会社従業員をして会社の経営方針に反対して、その協力を阻止しようとする意図のあることが窺われるので申請人島津が会社の業務運営に非協力であると判断されることはやむを得ない。よつてこれらの事由は整理基準(6)に該当する。

(六)  申請人伊藤について

(イ) 申請人伊藤は昭和二十六年十月より昭和二十七年九月に亘る間欠勤二十二日遅刻早退回数七十四回に及んでいることが疏明により認められるので整理基準(3)に該当する。なおこれらの欠勤遅刻早退の原因が何であつたかによつて整理基準(3)の適用を異にすべき理由のないことは既に述べたとおりである。

(ロ) 被申請人は申請人伊藤が総務部所属技手補中最劣等であるから整理基準(5)に該当すると主張する。しかして右の出勤状態よりみれば申請人伊藤がその信頼度勤勉度において低く評価されてもやむを得ないところであるばかりでなく、疏明によると、申請人伊藤はその職場である医務室において就業時間の内外を問わず日共科研細胞のものと集会し、また離席も多く依頼された調剤が勤務時間終了に間に合わないことが屡々あることが認められるので、その習熟度の点はともかくとして作業能率は低く評価されることはやむを得ない。よつて以上の点において整理基準(5)に該当する。

(ハ) 被申請人は申請人伊藤が前記共産党科研細胞機関紙の発行責任者となりこれらに前記記事を掲載配布し、又その職場で科研細胞の集会を会社の許可なく催していたことならびに申請人伊藤の政令三二五号違反被疑事件の故に昭和二十六年十月五日その職場及び会社二号館地下室を捜索され又申請人伊藤自身も同月十五日逮捕せられたから整理基準(6)に該当すると主張する。

疏明によると被申請人の右主張事実を認めることができる。しかして申請人伊藤の職場が捜索せられ或いは申請人伊藤が右の事件の嫌疑を受けて逮捕せられたからといつて整理基準(6)に該当するものでないことはすでに申請人榛沢同鈴木同島津らについて述べたとおりで捜索の点も何ら別異に解すべき理由はない。しかしながらその他の被申請人主張の事実中機関紙発行配布の点については申請人島津について述べたとおり会社の業務運営に非協力ということができるし、会社の許可なくその職場で就業時間中集会していた点は会社の職場の秩序を紊すものというべきであるからこれらの点において整理基準(6)に該当する。

(七)  申請人荒井について

(イ) 申請人荒井が昭和二十六年十月より昭和二十七年九月に至るまでの間に欠勤日数百七十九日遅刻早退十九回であることは疏明によつて認められるから整理基準(3)に該当する。

申請人は前記欠勤は当時行われた徹夜作業のため結核になつたことが原因であるからこれを整理基準に該当するとすることは不当であると主張するけれども疏明によれば会社は申請人荒井らの属する事務部門に対し徹夜作業を強制したこともなく従業員自らの希望によつてなされ屡々事務課長を通じて警告を発していたに拘らず敢てなされていたことが認められ、また申請人荒井の発病が右徹夜作業に起因することの疏明資料もないから申請人荒井の主張は採用し難い。

(ロ) 被申請人は申請人荒井がペニシリン製造部に所属し前記勤務成績評定によるときは所属副主事中最下位であると主張する。

しかして右のように申請人荒井が最下位であることを明らかにする資料はないのであるが、右に述べた出勤状態や、また出勤日においても屡々離席して申請人伊藤の勤務する医務室に出入し科研細胞の事務連絡などをしていたことが認められるので、被申請人主張の応用力仕事の成果職務知識等の評価については疏明できる資料はないが信頼度勤勉度については低く評価せざるを得ないからこの点において整理基準(5)に該当する。

(ハ) 被申請人は昭和二十六年二月二日政令三二五号違反容疑で逮捕され前記科研細胞その他の機関紙ビラ等を常に配布していたから整理基準(6)に該当すると主張する。

しかして右の事実は疏明によつて認めることができ申請人伊藤に関して述べたと同一の理由により逮捕せられた点は整理基準(6)に該当するものではないがビラ機関紙配布の点は整理基準(6)に該当する。

以上のとおり申請人らに対し整理基準に該当すると被申請人が主張する事実のうちにはその主張を採用し難いものもあるが申請人らはいずれも前記のとおり整理基準にそれぞれ該当するのであるから申請人らが整理の対象とされたことは合理的なものとして首肯することができる。

しかして本件整理が申請人らのほかにも整理基準に該当する者がありながらこれを整理の対象とせず格別の理由もなく申請人らが整理の対象とせられたことの疏明はないから前記の妥当の判断を左右するものではない。

なお申請人らは特定の期間をとり上げて整理基準該当の有無を判定することは不当であるというけれども、整理の公平を期する場合一定の観察期間を設けることは必しも不当ではなく、また申請人らを解雇するために特に期間を限定して観察したこと或いは他の期間において申請人らよりも整理基準に該当するものがあり、申請人らよりもより著しく企業の効率経営に寄与しないものがあるに拘らずこれを整理の対象より除外したということの主張疏明がないから観察期間を特定したからといつて右の判断を覆えすに足りない。

六、申請人らは本件解雇は申請人らの組合活動ならびに政治的思想的傾向を理由とするもので労働組合法第七条第一号及び労働基準法第三条に違反する無効のものであると主張する。

疏明によると、申請人榛沢は昭和二十七年三月マイシン従組職場委員となり宣伝部を担当し、同年十月職場委員に再び選ばれ職場推薦で委員長書記長に立候補し、申請人鈴木が昭和二十七年十月マイシン従組職場委員となり、申請人渡辺が昭和二十六年九月馘首者に対する生活救援活動に携わり、同年十月及び昭和二十七年四月マイシン従組職場委員となり昭和二十七年五月にはメーデー事件関係者に対する救援活動に従事し同年六月以降新科研成立の際の整理対象者の都労委申立事件について都労委対策委員となりまた申立人らの補佐人となつたこと。申請人網が昭和二十六年八月マイシン従組準闘争委員となり、昭和二十六年九月には申請人渡辺と共に救援活動に従い、昭和二十七年五月にも同様救援活動に従事し、同年六月以降申請人渡辺と共に都労委対策委員補佐人となり同年十月には職場委員に選ばれたこと。申請人島津は昭和二十四年六月科研従組を脱退してペニシリン従組に加入し、昭和二十五年一月には職場委員労協委員となり、同年三月労協委員、同年十月給与委員昭和二十六年五月同七月合理化専門委員となり、同年八月には拡大委員同年十月には文庫委員昭和二十七年四月には職場委員となり、情宣部を担当し、申請人網らと共に都労委対策委員となり、昭和二十七年十月には書記長候補として推薦され、さらに工場移転馘首問題に関し委員となつたこと。申請人伊藤は昭和二十四年九月科研従組の本部委員となり、昭和二十五年九月までこれを担当し昭和二十七年三月再び本部委員となり同年十月科研従組を脱退してペニシリン従組に加入し、申請人荒井は昭和二十五年五月ペニシリン従組職場委員となり同年十月給与委員、文庫委員同二十六年三月には賃上闘争委員となり、同年四月には第五期副委員長となり、同二十七年十月には申請人島津らと共に工場移転に関する対策委員となつたことが認められるのであるが本件解雇が申請人らの右組合活動を理由として整理に藉口してなされたものであることの疏明は十分でないから労働組合法第七条第一号に違反するものであるとの申請人らの主張は採用し難い。このことは本件整理が既に説明したとおり企業運営の必要上なされたものであり申請人らが右の整理基準には該当するものであるから、申請人らが他の従業員に比し特に差別して取扱われたことの疏明のない本件においては右のように判断せざるを得ない。

しかしながら会社は申請人榛沢同鈴木、同島津がメーデー事件により逮捕勾留されたことをもつて整理基準に該当するものとし、右メーデー事件は日共関係者によりひきおこされた事件であると判断していたこと、また申請人島津同伊藤、同荒井が日共科研細胞機関紙等の配布に当つていたことをもつて整理基準に該当するものとしたことが疏明によつて認められるので申請人らの政治的信条の故に本件解雇がなされたのではないかという疑は充分に存するところである。しかしながら飜つてさらに検討してみるに会社が申請人らの整理基準(6)に該当すると考えた行動は会社の存立竝びに業務の円滑なる運営に害があるとの判断に基くものであつて、申請人らの信条そのものを対象としたものでなく、その信条に基いて行われた行動を判断の基礎としていることは前記認定に照し明かであり且つその判断が客観的妥当性を有することはすでに述べたとおりである。そして本件整理は前記のように納得し得べき整理の必要性と整理基準の適用のもとに行われたのであつて、申請人らを殊更排除しようとしたことの疏明はないのであるから本件解雇は労働基準法第三条に違反しない。

第三、以上のとおり本件解雇を無効とすべき事由に関する疏明がないことに帰着するから、これが無効を前提とする本件仮処分申請は理由なく却下を免れない。よつて申請費用は申請人らの負担とし、主文のとおり決定する。

(裁判官 西川美数 綿引末男 三好達)

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